自己啓発の源流 第3章
アドラー アルフレッド・アドラー
過去が私を決めるのではない。私が『今の目的』のために、過去を使っている。
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1. 一言で
過去が私を決めるのではない。私が「今の目的」のために、過去を使っている。
アルフレッド・アドラー(1870–1937)は、こう考えたオーストリアの精神科医です。フロイト、ユングと並ぶ、心理学の祖の一人です。
先に、読むときの構えをひとつだけ。日本でアドラーといえば、大ベストセラー『嫌われる勇気』ですよね。あの本でアドラーを知った人が、ほとんどだと思います。でも、大事なことを言います。あの本は、アドラー本人が書いた本ではありません。 岸見一郎さんという哲学者による、“解釈本”です。だからこのページでは、「アドラー本人の思想」と「『嫌われる勇気』が描くアドラー像」を、注意深く分けて見ていきます。そして、崇めも、こき下ろしもしません。
2. いそがしい人へ
3つだけ、先に。
- 核心:過去のトラウマが今の自分を決めるのではない。「今、こうしたい」という目的のために、過去に意味づけをしている(目的論)。だから、目的を変えれば、生き方は変えられる。
- なぜ重要:人を「過去の囚人」から「未来の設計者」へ解放した。スマイルズ・ドゥエックと同じ「自分で人生を選べる」という系譜です。
- よくある誤解:有名な「トラウマは存在しない」「課題の分離」「嫌われる勇気」——この3つとも、実はアドラー本人の言葉ではありません(本文で解きます)。
3. どんな人?
アドラーの理論は、彼自身の「弱さ」から生まれました。
1870年、ウィーンに生まれた彼は、とても病弱な子でした。くる病で4歳まで歩けず、5歳のときには肺炎で死にかけている。弟を亡くす経験もした。この「自分は弱い」という痛切な感覚が、後の彼の中心概念——「劣等感」と、それを乗り越えようとする力の理論——の源になります。
1902年、彼はフロイトの研究会に加わります。よく「フロイトの弟子」と誤解されますが、実際は対等な同僚で、後に学会長も務めました。でも、二人の考えは、決定的に食い違っていく。フロイトは、人を「過去の原因」と「性の欲動」で説明した。アドラーは、人を「未来の目的」と「社会的なつながり」で捉えた。この対立は埋まらず、1911年に決別。アドラーは独自の「個人心理学」を打ち立てます。
第一次大戦に軍医として従軍し、戦争の惨禍を目の当たりにした彼は、「人は、他者とつながり、貢献してこそ幸福になれる」という考え(共同体感覚)を深めていきます。戦後は、ウィーンに児童相談所を作り、教師や親への教育に力を注いだ。難しい理論を、普通の人々の役に立つ形で届けようとした——心理学を、庶民に開いた人でした。ユダヤ系だったため、ファシズムの台頭で活動が難しくなり、1932年に渡米。1937年、講演旅行の途中、スコットランドで亡くなりました。
4. 中心となる考え
この章で、アドラーが引っくり返した「原因と目的」
アドラーの中心にあるのは、たった一つの発想の転換です。あなたを縛っているのは「過去」ではなく、あなたの「今の目的」だ。
この人が押した、前提のスイッチ
過去のトラウマが、
私は『今の目的』のために、
たとえば「昔いじめられた。だから、外に出られない」。ふつう、こう考えますよね。過去の原因が、今の結果を決めている、と。これを 原因論 げんいんろん(Kausalität) 行動は過去の原因によって決まる、というフロイト的な立場。アドラーはこれを逆転させ、目的論を唱えた。 といいます。アドラーは、これを引っくり返しました。順番が逆だ、と言うんです。「外に出て、また傷つきたくない」——そういう”今の目的”が先にあって、その目的をかなえる材料として、過去のいじめの記憶を持ち出している。これを 目的論 もくてきろん(Finalität) 行動は過去の原因でなく『今の目的』が決める、という立場。フロイトの原因論の逆。 といいます。
冷たく聞こえるかもしれません。でも、ここには強烈な希望があります。過去は、変えられない。でも、過去に「どんな意味を与えるか」は、今の自分が決めている。だとしたら、今の目的を切り替えさえすれば——人は、いつでも変われる。
いちばん大事な注意——有名な3つの言葉は、本人のじゃない
ここで、大事なことを、正直に言っておきます。あなたがアドラーと聞いて思い浮かべる言葉——たぶん、この3つですよね。「トラウマは存在しない」「課題の分離」「嫌われる勇気」。
実は、この3つとも、アドラー本人の言葉ではありません。
これらは、日本で大ベストセラーになった『嫌われる勇気』(岸見一郎・古賀史健)が広めたものです。この本は素晴らしい入口ですが、**アドラー本人が書いた本ではなく、“解釈本”**なんです。ひとつずつ、見てみましょう。
- 「トラウマは存在しない」——これは本の見出しで、著者自身が「もちろん、トラウマそのものは存在します」と断っています。アドラーが本当に言ったのは「トラウマは無い」ではなく、「トラウマが、今のあなたを”決定”するわけではない」ということ。過去の存在を消したのではなく、過去の”支配力”を否定したんです。
- 「課題の分離」——これはアドラーの用語ですらありません。日本の野田俊作という精神科医(初代日本アドラー心理学会会長)が広めた言葉で、本人も、アドラーはどこにも書いていない、あれは自分が言いだしたものだ、と認めています。
- 「嫌われる勇気」——これもアドラーの言葉ではなく、本のためのキャッチコピーです。
なぜ、こんな細かいことを言うのか。次で分かります。
抜け落ちた、いちばん大事なもの——共同体感覚
『嫌われる勇気』は、「課題の分離」——つまり「他人の課題に踏み込むな、あなたはあなたの人生を生きろ」という部分が、大きく響きました。同調圧力に疲れた人にとって、これは救いでした。
でも——アドラーが本当に一番大事にしたのは、その先です。 共同体感覚 きょうどうたいかんかく(Gemeinschaftsgefühl) 他者を仲間と見なし、社会に貢献しようとする感覚。アドラー思想の到達点。同調圧力とは正反対。 。他者を「敵」ではなく「仲間」と見て、その仲間に貢献することにこそ、幸福がある、という考え。「課題の分離」は、そこへ至るための入り口にすぎなかった。ところがブームでは、入り口の「切り離し」ばかりが強調され、ゴールの「つながり・貢献」が、すっぽり抜け落ちてしまった。
面白い証拠があります。「課題の分離」を広めた当の野田俊作その人が、『嫌われる勇気』を「“課題の分離”ばかり強調して、肝心の”協力”が抜けている」と、実は批判していたんです。看板になった言葉を作った本人が、その使われ方に首をかしげている——ここ、覚えておいてください。
劣等感は、悪者じゃない
もう一つ、誤解を解いておきます。 劣等感 れっとうかん(Minderwertigkeitsgefühl) 理想の自分に比べ『劣る』と感じる感覚。誰もが持つ正常なもので、成長のバネ。悪ではない。 。これ、悪いものだと思われていますよね。でもアドラーにとって、劣等感は成長のバネです。「今の自分じゃダメだ、もっと良くなりたい」——この感覚があるから、人は努力できる。問題なのは、劣等感を「言い訳」にして、挑戦から逃げること( 劣等コンプレックス れっとうこんぷれっくす 劣等感を『言い訳』にして課題から逃げる態度(例:学歴が低いから無駄だ)。劣等感とは区別される。 )のほう。劣等感そのものは、あなたの敵ではありません。
5. キーワード
4章の言葉は、カードでいつでも引けます。あと2つ、知っておくと深まる言葉を。
- 優越性の追求 ゆうえつせいのついきゅう(Streben nach Überlegenheit) より良くなろうとする普遍的な欲求。他人に勝つことではなく、理想の自分へ近づくこと。 (ゆうえつせいのついきゅう):もっと良くなりたい、という誰もが持つ欲求のこと。ここで大事なのは——これは「他人に勝つこと」ではないということ。他人を蹴落として上に立つのは、アドラーに言わせれば、ゆがんだ形。本来は、昨日の自分より前へ、“理想の自分”へ近づこうとする、健やかな力です。他人との競争(縦の関係)ではなく、自分の成長(横の関係)。
- ライフスタイル らいふすたいる(Lebensstil) 人生・自己・世界への意味づけの一貫した型(いわゆる性格)。幼少期に自分で選び、選び直せる。 (らいふすたいる):いわゆる「性格」のこと。でもアドラーは、性格を「生まれつきの宿命」とは考えませんでした。それは幼い頃に、自分で選び取った、世界への向き合い方の”型”だ、と。だから——選び直せる。「自分はこういう性格だから」は、変えられない言い訳ではなく、今日から選び直せるもの。ここにも、彼の希望があります。
(※ 目的論・劣等感・劣等コンプレックス・共同体感覚・課題の分離は、本文中のカードで、いつでも引けます。)
6. 批判・限界
アドラーには、強い批判もあります。3層で、両方を見ます。
(a) 「トラウマは存在しない」への、脳科学からの批判
現代のトラウマ研究は、深刻な心の傷(PTSDなど)が、脳や神経に生理的な変化を残すことを示しています。だから「引きこもるのは本人の目的だ」と目的論を無理に当てはめると、本当に苦しんでいる人に「治らないのは、あなたの勇気が足りないからだ」と責める、二次加害になりかねない。
(b) 『嫌われる勇気』ブームの、功と罪
功は大きい。ほぼ無名だったアドラーを、日本中に広めた(2024年時点で国内300万部、世界1180万部超)。同調圧力に苦しむ人に、実践的な救いを届けた。
罪もある。何度も言うように、「課題の分離」ばかりが独り歩きし、到達点の「共同体感覚(他者への貢献)」が抜け落ちた。「すべては勇気の問題」「他人の課題は関係ない」が、冷たい自己責任論や、人間関係の切り捨てに横すべりする。実際、2017年にこの本がドラマ化されたとき、日本アドラー心理学会が、その内容はアドラー心理学の一般的な理解とかなり異なる、として公式に抗議しています。
(c) そもそも「科学」なのか
科学哲学者のカール・ポパーは、アドラーの理論を「反証不可能」——つまり、人がどんな行動をとっても後付けで説明できてしまうから、科学として検証できない——として、疑似科学の代表例に挙げました。有名な逸話があります。ポパーがある少年の事例を報告すると、アドラーは本人を診もせずに、劣等感の理論で即座に説明した。「なぜ分かるのか」と問うと、「私の千倍の経験から」と答えたそうです。
7. つながりと対比
アドラーは、誰と決別し、誰とつながるのか。
決別したのは、フロイトとユング。 深層心理学の3人の祖ですが、向きが違う。フロイト=過去の原因、ユング=集合的無意識、アドラー=未来の目的と社会的つながり。アドラーは、その「最初の反逆者」でした。
そして、意外な近さがあるのが——フランクル。 これは、このサイトの中でつながる話です。あの『夜と霧』のフランクルは、若い頃、アドラーの研究会に所属していました。 でも「意味」を中心に据えたことで、1927年ごろに除名され、独自のロゴセラピーへ進みます。並べると、きれいに整理できます。「快への意志」(フロイト)、「権力への意志」(アドラー)、「意味への意志」(フランクル)。この3人は、ウィーンから出た心理学の、三つの流れなんです。
同じ束のスマイルズ・ドゥエック とは、「過去や環境を言い訳にせず、自分で人生を選ぶ」という自己決定の系譜でつながります。ドゥエックの「人は変われる」と、アドラーの「目的を変えれば変われる」は、同じ方向を向いています。
そしてニーチェの「力への意志」が、アドラーの「優越性の追求」に影響を与えている。ただしニーチェが孤高の超人へ向かうのに対し、アドラーは、あくまで共同体との調和を手放しませんでした。 → このサイトでは、フランクル・スマイルズ・ドゥエック・ニーチェ につながります。
8. いまの自分に、どう効くか
アドラー(というより『嫌われる勇気』)は、いまも効きます。これが功。「空気を読む」「他人の顔色をうかがう」——そんな同調圧力に疲れた人にとって、「承認欲求から自由になれ、自分の人生を選べ」というメッセージは、強力な解毒剤になりました。
でも、罪もある。「課題の分離」だけが独り歩きして、「これは他人の課題だから、自分には関係ない」「すべては個人の勇気の問題だ」という、冷たい自己責任論や、人間関係の切り捨てに、縮んでしまう。アドラーが一番大事にした「仲間への貢献」とは、真逆の孤立を生む。
ここで、この束の3人を並べると、ぞっとするような共通点が見えてきます。
スマイルズの有名な言葉は、本人の創作ではありませんでした。ドゥエックの「努力をほめる」実践は、本人が”偽物”だと警告したものでした。そしてアドラーの「課題の分離」は、本人の用語ですらなく、それを作った野田さん自身が、使われ方を嘆いていた。——3人そろって、「看板」と「中身」が、ずれているんです。
なぜ、こうなるのか。答えは、たぶんこうです。自己啓発は、耳ざわりのいい”枝葉”だけが、切り取られて広まる。 「努力すれば報われる」「成長マインドセットを持て」「課題を分離せよ」。どれも、キャッチーな一言に縮められて、本人が込めた深い部分——人格、戦略と助け、そして仲間への貢献——が、ぽろぽろとこぼれ落ちていく。
アドラーが本当に言ったのは、「他人を切り離して自由になれ」ではありません。「自分で人生を選び、そのうえで、仲間に貢献せよ」でした。切り離しは手段で、貢献こそが目的。枝葉(課題の分離)だけ持ち帰って、根(共同体感覚)を置いてくると、あの温かいアドラーが、冷たい自己責任の道具に変わってしまう。 これが、自己啓発の源流を3人たどって、見えてくる共通のわなです。だからこのサイトは、枝葉の一言でなく、根っこごと、思想を渡したい。
9. もっと知る
アドラーは、入口と、その先を分けて考えるのがコツです。
読む順の目安
- まずは『嫌われる勇気』(岸見一郎・古賀史健)。対話形式で、いちばん読みやすい。ただし——これは”解釈本”だと意識して読んでください。
- そのうえで、必ず続編『幸せになる勇気』か、本の第4夜まで読み進めること。アドラーの本当の到達点「共同体感覚」は、そこにあります。「課題の分離」で止まると、半分しか受け取れません。
- 本人の言葉に触れたければ、『人生の意味の心理学』『個人心理学講義』(ともに岸見一郎訳、アルテ)へ。これがアドラー自身の著作です(ただし難易度は上がります)。
10. まだ決着していないこと(両論ボックス)
このサイトは、確定した事実と、解釈が割れる論点を分けて記述しています。崇拝も断罪もせず、出典に当たれる形を心がけました。アドラーについては特に、本人の思想と、『嫌われる勇気』が描いたアドラー像を、混ぜないよう努めています。
もっと知る — ブックガイド
入門(まずここから)
- 嫌われる勇気(岸見一郎・古賀史健・ダイヤモンド社) ★解釈本(本人著作でない)。入口として最良だが「岸見フィルター」。対話篇で最も易しい。
- アドラー心理学入門(岸見一郎・ベスト新書) 解説書。本人著作への橋渡し。
原典(挑むなら)
- 人生の意味の心理学(岸見一郎訳・アルテ) 本人著作。晩年の代表作。共同体感覚・人生の三大課題。中〜上級。
- 個人心理学講義 生きることの科学(岸見一郎訳・アルテ) 本人著作。米国移住後の俯瞰書。中〜上級。